イギリスの暴徒と社会的排除について

 イギリスでいまもなお続いている暴動と直接的な関連性があるだろう現代社会における排除とイギリスにおけるマイノリティについて少々触れ、今回の事件に関する理解が少しでも深まればと思いまとめてみます。

 近代社会の大きな問題として扱われていた貧困と格差だが、資本主義が発達した現代先進国において「物質的な」貧困はほぼ解消された―格差は未だにあるが、その差はだいぶ縮まったと認識されている。
 しかし一方で、こうした物質的な貧困に依拠した貧困概念では捉えられない、文化的な貧困―諸権利からの剥奪といった状態と排除過程が現象として確認され、これを現代社会の問題として取り上げる一つの論点として―権利からの剥奪状態・剥奪過程を指す言葉として「排除」という視点が用いられるようになった。
 この社会的排除においては、急速に発展していく社会変化に伴う知識社会の発達に対して、アクセスできるものとできないものとの格差が危惧され、その是正のための社会的包摂の必要性が論じられる。

英国では90年代後半(恐らく労働党のブレア政権)に入り、社会的排除に関する対策室が設置された。この機関は社会的排除の定義を「失業、スキルの欠如、低所得、質の悪い住宅条件、犯罪率の高さ、不健康、家族崩壊、といった相互に関連する複雑な問題を個人または地域が抱え苦しんでいる場合に起こりうるラベリング」としている。
 この定義には些か問題がある。それは社会的な排除はその状態ばかりではなく、社会的に排除されてしまう過程もまた重要な着眼点であり、状態にだけ視線を向けるのでは不十分であるとみなされるからだ。
 社会的排除の包摂においては平等ではなく一定の差別が必要であると多くの論者が口を揃える。それは文化や社会の主流もしくは富と教養を持つものと、排除されている・されつつある者たちとの間には深い溝が存在しており、両者を平等に扱ってもこの溝は埋まるどころかより広がってしまうという認識があるからだ。故に排除されている・されつつある者たちは誰であるのかを調査・特定し、その者たちに必要であると考えられるサービスを積極的に提供する―包摂する必要があるとする。その一方で、排除されてしまう仮定や背景要因を分析し、そうした社会的な排除が再発しないよう制度などの改革が求められる。
こうした包摂はなぜ必要であると考えられているのか。マーシャルの言葉を借りれば諸権利を付与することによって、「共通の財産たる文明への忠誠心に基づいた直接的な共同体帰属感」が権利から排除されていた市民たちに生じることを期待しているからだといえる。自由・民主主義体制への包摂と国家への統合は、資本主義体制における
発展と社会の安定をもたらすと考えられるからである。

 ここから素朴に今回のイギリスにおける暴動は、排除されている者たちの、イギリス社会への包摂または統合の失敗の顕れであると、みなすこともできるだろう。事実私は失敗であるとみなしている。今回暴動を主に起こしている人たちは移民とはいっても既に英国の市民権を得ている,もしくは移民の2世3世と言われている人々である。*1
 今回の暴動は職もなく、恐らく義務教育課程もまともに卒業していない教養のない野蛮とみなされる若者たちによる暴動であろう。彼らの暴動と、警官による黒人の射殺のあいだに強い関連性はないとしても。この事件が引き金となって、たまっていた不満が爆発してしまったのだとみなすことができるだろう。
 この不満と暴動は、社会的排除による結果である。イギリス社会への包摂または統合の失敗である。それは誰が悪かったのだろうか、イギリス社会に馴染もうとしなかった移民であろうか、移民や多文化に理解を示さなかった政府や英国人であろうか、それともまた何か別の要因が複雑に作用しているのだろうか。
 
 ロシア議会上院、連邦会議国際問題委員会、ミハイル・マルゲロフ委員長は「多文化共存と寛容の価値観は、ヨーロッパ人にとっても、移民達にとっても受け入れられないものだと指摘しており、移民達はヨーロッパ的価値観を認めず、尊重していない」と語っている*2

 これもまた一つの捉え方である。しかし社会的包摂を志す人々はこれとは反対のことを言うだろう。つまり移民政策・社会への包摂の失敗であり、政府の責任であると。
 しかしことはそう単純ではない。たしかに政府の落ち度は多数存在するだろうが、労働党のブレア政権は社会的排除問題対策室や教育における包摂などに取り組んでいた。私の分析やラディカル左派が批判するところによると、その政策も英国人よりのものであり、移民や多文化に対する配慮が足りなかったと言える。シティズンシップ教育においては、英国の労働者階級の子供たちの英国社会への包摂と異文化への理解と寛容を育てることが第一の目的であり。移民などに対する譲歩はほとんど見られなかった。更に異文化に対する精神的な寛容を育ててはいたが、実際の法制度などの進展はあまり見られなかった。
 こうした移民に対する包摂というよりも統合・同化を促しがちな政策は、移民たちに疎外感や拒否感を抱かせ、彼らを学校から追い出すことにもつながってしまったのではないか。彼らの文化の価値を認めない学校、認められない彼らは自ら学校という再生産装置から逃れていったと推察できる―こう考えると先のロシアのお偉いさんの言葉は、あまりに一方的なものと映るだろう。この推察は排除の総てを明らかにするわけではないが、異文化の排除過程の一つをあらわしているだろう。
 
 物質的な排除のみならず社会的排除のみならず、我々は文化的な排除と、アイデンティティについて考えなければならないとキムリッカは示唆している。

 今回の暴動は低賃金で働かされている不満や教養課程から排除・脱落してしまったが故の無教養、その無教養ゆえに適切な社会サービスを利用できなかったという排除、それを教えてくれる者たちの欠如―コミュニティ機能の衰退、こうした物質的および社会的な排除に加えて、イギリス社会において認められない不満といった文化的な排除など様々な要因がからみ合って噴出してしまったと、こうしたことが暴動の背景の一部にはあると私は考える。
 
 それでは移民たち・イギリス市民・イギリス政府はどうすればよかったのだろうか。これに対する適切な回答を私は持ちあわせてはイない。シティズンシップ教育は足りない部分もあるがイギリス市民へ異文化への理解と寛容を教えたり、地域コミュニティへの関心や参加を促していた―これは社会的・文化的排除への対応と評価することも十分できる。
 しかし残念ながらそれでは足りなかったのだろう。キムリッカが示唆したように、今日に耐えられる新しい市民権―多文化への理解と理性ある市民の徳を備え、「人々が、自分たちの差異を乗り越え、全市民の共通善について考えるための討議の場となるべき」―市民権がより醸成されれば、幾らかは希望を持つことができるのであろうか。それも一つの方法であろう。


もちろんこの問題には忘れられがちだが資本主義生産体制や交通の増大などが深く深く関わっていることだろう。




 

*1:確かなソースがないので不誠実な発言であるが許してもらいたい

*2:http://japanese.ruvr.ru/2011/08/10/54467012.html