シティズンシップ教育 メモ1

シティズンシップ教育のメモ

シティズンシップ教育と一言で言えても、その内実は多様というか統一感がなく、国や地域によってだいぶ違う。このことをまず明らかにする必要があると考える

日本のシティズンシップ教育についてのメモ

 英国では2002年9月からシティズンシップ教育が必修科目として導入されている。

なぜ市民なのか

 世界的にグローバル化やトランス・ナショナルな移動が増大している昨今の社会では国民=市民というモデルが実質的意味を失いつつあり、妥当なものとして通用しなくなってきている。
以前なら国民国家の担い手を育成とう面が強かったが、社会のグローバル化が進み国家とう枠組みを超えた社会の仕組み作りのために、また大きな政府から小さな政府への転換にともない、小さな政府では賄い切れない社会機能・サービス維持のために主体的に行動する「市民」を育てる。このようなことが期待されると考えられる
 市民という言葉は日本では馴染みが無いだろう、日本では市民というと社会運動をする際に用いられたりする言葉であり、対国家として位置づけられている概念という面もある。また欧米の様な市民という感覚は未だに根づいていない。しかし最近はNPOなど市民の自発的な活動も目に見えてくるようになりシティズンシップが徐々に日本に馴染みつつあるとしている。

シティズンシップ教育とは何か

 シティズンシップ教育とは「多様な価値観や文化で構成される社会において、個人が自己を守り、自己実現を図るとともにより良い社会の実現に寄与するという目的のために、社会の意思決定や運営の過程において、個人としての権利と義務を行使し、多様な関係と積極的に関わろうとする資質」と定義され、シティズンシップ教育は「市民一人ひとりが、社会の一員として、地域や社会での課題を見つけ、その解決やサービスの提供に関わることによって急速に変革する社会の中でも、自分を守ると同時に他者との適切な関係を築き、職に就いて豊かな生活を送り、個性を発揮し、自己実現を行い、さらによりよい社会づくりに参加・貢献するための必要な能力を見につけさせることを目標とした教育」と定義している。(今現在は孫引きの状態なので後から確認する)
 (余談だが、この定義はシティズンシップ教育であるにも関わらず随分と経産省にとって都合が良いことばかり述べられている気がする。自己実現とか職に就くといったものはシティズンシップと関係があるのか疑問である。)

実践の場での展開としてはシュミレーション型や体験学習型が効果的であり、特定の教科と総合的な学習の両者を跨ぐことが望ましいだろうとしている。
 
日本国内の先見的事例
 
 お茶の水女子大学付属小学校は「提案や意思決定の学びを通して市民的素質を育む教科」 として社会科をあらため「市民」として発足。「公民」としなかったのはこの言葉のもつ歴史的経緯などによるとともに、市民としたのは民主主義の担い手となる市民の育成を強調する意味もある。
 品川は2006年度より「市民科」を実施。「「正しい規範意識」「適切な行動様式」「望ましい人間関係」「社会とのかかわり」を持ち、「望ましい認識と行為」を実現、「教養豊かで品格のある人間形成」を目指している」

「シティズンシップ教育は、現行の学習指導要領で重視している生きる力の育成と共通する部分が大きく生きる力の育成の推進になるといっても過言ではない」


英米のシティズンシップ

『学校教育辞典』によればシティズンシップ教育(citizenship/civic education)とは「社会の構成員としての「市民」(citizen)が備えるべき「市民性」(citizenship)を育成するために行われる教育であり、集団への所属意識、権利の享受や責任・義務の履行、公的な事柄への関心や関与などを開発し、社会参画に必要な知識、技能、価値観を習得させる教育」と定義される。

 シティズンシップ教育が関心を向けられたんは90年代、1994にアメリカで「市民科と政治の全米共通スタンダード」、同年オーストラリアで「市民科専門家グループ」1996フランスに置いて「シティズンシップ教育」という概念が初めて出現、翌年にイギリス「シティズンシップ諮問委員会」を設置。
 「こうしたシティズンシップ教育に対する世界的な関心の高まりは、グローバル化の進展と無関係ではない。グローバル化による国家や企業の組織原理の衰退、国内社会における文化・宗教・民族的多様性の拡大は、多元的な社会を統合する手段の一つとしてのシティズンシップ教育に注目を集めるきっかけとなった」。
 
イギリス(イングランド)におけるシティズンシップ教育

 イギリスにおいてはシティズンシップ教育や政治的価値観・態度に関して、政府の学校に対するあからさまな関与は避けるべきとされていた。
 だが、90年代ごろから注目を浴びる。直接的な契機は「若者の阻害(youth alienation)」と呼ばれる諸課題−若者たちの政治への無関心や投票率の低下、また学校での暴力や犯罪行為の増加・欠席など−であるとされる。加えて移民の増加、多文化社会化、共通の価値の欠如 共通の価値基盤の形成を目指すためにシティズンシップ教育にたいして希望が高まった。(憲法改革の動きがウェールズスコットランドでおこった)一連の動きのなかで、シティズンシップを国家の枠組みで捉えるだけでなく、欧州や世界という観点から捉えなおす必要性が生じ始めたと考えられる。
 ブレア政権のブランケット教育雇用大臣はバーナード・クリックを議長とするシティズンシップ諮問委員会を設置、同委員はEducation for citizenship and the teachinig of democracy in schoolを公表した9
 これによれば、イギリにおいて「公的生活に対する無関心、無知、冷笑的な態度が懸念すべき段階にある」とし、イギリスが「参加する市民から構成される国(a nation of engaged citizens)とならなければ、我々の民主主義は安泰ではない」と警鐘を鳴らした。
 このレポートでは「能動的な市民」の育成のため?社会的道徳的責任?地域コミュニティへの参加?政治リテラシーから構成されるシティズンシップ教育を重要視している。(シティズンシップを法令教科にすべしと勧告したさい、学校が地域の実情に即して柔軟に対応出来るおように提案した)
 加えて、シティズンシップ教育については、政治的に議論のある問題いに関する議論を含むことが前提であるべきとした。また、生徒に偏った理解や教科がもたらされるのではといった懸念には「開かれた、十分な戯論は、健全な民主主義はにとって不可欠である」との立場を明らかにした。2002年から必修化を決定、1999年、見識ある市民informed citizenとなることを目標とし、知識、技能、理解を三本柱と定めた。
 
2007年ナショナルカリキュラムの改丁
 9・11のテロやロンドン同時テロを契機に、文化・宗教・民族的多様性やイギリス人らしさに関する戯論が活発化、シティズンシップ教育にも多様性の問題に関心が高まるなどおきる。それを受け2007年に『カリキュラム・レビュー多様性とシティズンシップ』が提出される。ここでは上記の三つの柱に加え「アイデンティティと多様性」が四つ目として加わる。
 
 その他には「生徒が社会に対する幅広い知識と理解を持つだけでなく、自分の意見を表明するために異なる種類の情報ソースを使用できること、学校や地域社会の活動に参加し、個人での活動、集団における活動の中で自らの責任を発揮できるこおtなどをあげている」 .。課題としてはカリキュラムとして、シティズンシップをどうするか、評価をどうつけるか。また地域との連携や実践という学習に対しては教師が乗り気でない。地域による量や質の格差、最後にシティズンシップ教育に期待される多様性の尊重と社会の統合をいかに両立させるのか、多文化の尊重と共有する価値の線引きが大きな課題となっている


アメリカの場合

 アメリカのシティズンシップ教育は19世紀移民をアメリカ市民へ統合していくかまで遡れる。アメリカでは学校の第一の使命は、責任ある生徒になるよう教育することというコンセンサスがある。  1916年には「市民科civics」民主主義の諸課題というコースの設置が提起された(シティズンシップ教育の基礎)90年代後半に、個人と社会の希薄化が注目―ボランティア、地域コミュニティへの参加の現象への警鐘。シティズンシップ教育の充実という声があがる。
 
政府の施策
 1994年に学力および職業技能をグローバル経済の競争にかなう水準まで引き上げることを目標とする。同年、市民科と政治の全米共通スタンダードを制作。スタンダードは「シティズンシップ教育は、アメリカの学校教育にとって付随的なものではない。アメリカの教育目標の中心であり、健全なアメリカ民主主義にとって不可欠のものである。」とシティズンシップの重要性を明記。市民科も学力調査の対象
 モンタナ州ではサービスラーニングのような特別授業の形式で取り組まれたりしている
若者の政治的市民的活動の場を提供していた政党や組合、宗教団体などの非学校主体が活動を縮小、教師も政治的な議論のある問題を避ける傾向の増加、学力調査により市民教育を軽視などという背景があり衰退がある。911以降は水準も以前ともどりつつある。アメリカでは学校だけでなく、家庭から宗教労働組合まで市民育成をになってきた。現在も多くの団体などが盛んに活動している。

課題としては、やはりシティズンシップ教育の衰退が懸念されるが、政治参加は明るい兆しをみsているようだ。ただ、地域問題を議論する場所がない。また学歴が上がると政治に参加するが、そうでないとという参加機会への不均衡civic opportunity gapが存在―市民としての知識や技能の獲得のギャップcivic achievement gapがあるともいわれている。

 この奥村さんは、妙に席になる個人主体という語句が好きだな。


次 埼玉大 大友秀明 の分析から

 シティズンシップ教育とは、市民生を育み、自治の担い手・まちづくりの主体としての意識を醸成し、市民の政策形成能力を高める。政治教育を重視し合意形成を図ることで学べる機会を拡充−あとは授業計画などがかかれていてっ私の分析に役立つだろうか


 リーズ大学ではシティズンシップ、民主主義、人権の関係性を調査
民主主義ならびに多様性をいかに教えるかが昨今の欧の中心的な課題
オスラーいわく、民主主義は多様性によって成立する。なぜなら異なった考え方をする人々が多様な意見を出しあうことによって解決策を見いだすことができるからである。国際化がもたらした多文化社会は、民主主義を若者に学ばせるには良い機会を提供すると期待されている。
 ロンドン大教育学部の特徴はシティズンシップ教育と歴史教育を対等に価値ある物として位置づけている。通信教育にも力を入ている
 チューリッヒ教育大ゴロップ教授 どの年齢の子供に対しても、発達に応じて、民主的シティズンシップを学習させることができるとするカリキュラムおよびマニュアルを作成。たとえ幼児どうしのいざこざであっても民主的シティズンシップを教える要素−考え方の違う人間同士が居心地よく過ごすためのルールを共に考え生み出していくことが民主主義の原理である。彼はイギリスのシティズンシップについて、学校では理念ばかりおしえて実践の場が学校外での取り組みになっているのが残念としている。
 
イギリスのユースサービスは07年に3つのテーマ エンパワーメント、クオリティ、アクセスを指針として位置づけた。それぞれ、自ら行動すること、質の向上、若者に関する情報提供の仕方や期間のあり方を意味し、若者が容易に情報・施設にアクセスできることが求められている。このユースサービスにかんしていうと、公共政策としての若者支援を行政主導でおkなってきた日本と、行政と民間が協力して若者の最善の利益に従事ていたのが異なる
 
 シティズンシップ教育のおける多様性の包摂と排除
ここでは多くの移民を受け入れている国を取り上げている。ドイツでは異文化間能力を重視、他者を受け入れるこの能力や、若者の暴力防止が目指されている。オーストラリアは多文化主義の定義に市民の義務という文言をつけた。多文化なオーストラリアでは社会を強固に統一する推進力になる捉えられている。オーストラリア歴史の重視からナショナル・アイデンティティの再構築という課題と密な関係。
 カナダでは多様性が集団レベルでとらえられ、個人と集団の権利の調和が掲げられているのが特徴的。キーワードは帰属とコミットメントである。国家への帰属は多元的なコミュニティに属する人々の共通項として位置づけられ、カナダを構築する営みに参加することがカナダ人にすると認識が打ち出されている。オンタリオ州では移民の伝統や文化を学ぶ一方で毎日国歌斉唱が教育法で義務付けられている。
 アメリカでは多様性を統一体に転化させるメカニズムとしてアメリカ的信条−共和主義的パトリオッティズムと自由平等公正といった政治的イデオロギーに基づくナショナル・アイデンティティが国民に要請される。学力形成とシティズンシップ形成は直結すると考えられ、責任ある市民を人格に力点を上げ育成、優れた道徳性と市民的得の上に学力をつけ、職業的に成功するのも重視(パトリオッティズムは国を愛し忠誠を誓うことであり、良き市民とは戦時に兵役となどが上げられている。

シティズンシップ教育の交際比較研究をよん

 シティズンシップ教育に期待されているのは国民国家の担い手の育成だけでなく、国民教育制度にかわる新しい視点にたった枠組みを構築する必要がある。国民と同時に、国家から相対的に自立下市民社会で自律的に行動する市民の育成への対応が迫られている。こうした意味で、国家や地域の共同社会の形成者をいかなる意味内容をもって育成していくのか、という重大な課題をになう。 全体的な傾向としてトランス・ナショナルな影響を強く受けている。アジアなどではグローバル化を欧米化として捉え、その対抗軸としてそれぞれの国の伝統的な価値に基づいた社会規範や社会意識を重視したシティズンシップ教育がおこなわれてる ロシアや旧社会主義国は国家の安定を狙い政府が関与している。欧米では、共有すべき市民的価値・態度の教育が強調