地域についてのメモ1

伝統的な地域共同体が衰退解体し、それに代わって人間関係的な絆の回復を意図した、高度都市型社会に対応するような新しい地域社会形成(コミュニティー形成)を多角的な視点から検討することを通じて地域社会形成のための研究課題と提起している。

 戦後から65年の間は封建的な地域共同体を近代化を通して、いかに民主化していくが中心であった。
 そこから75年までは高度経済成長によって損なわれた自然や「コミュニティー生活の場における人間性の回復」が地域社会形成のための施策論として登場する。
 この施策はコミュニティーを「生活の場において、市民としての主体性と責任を自覚した個人および家庭を構成主体として、地域性と各種の共通目標をもった、開放的でしかも構成員相互に信頼ある集団」*1と捉えられていた。市民に地域政治の場への積極的な参加を求めている。
 しかしコミュニティー施策が具体化されると、コミュニティー組織作りという政治的意図よりもコミュニティー活動のための条件設備に変質してしまい、住民自治の推進より施設の設置・運営・管理が自治体の任務となってしまった。これはもちろん批判を受ける。このことにより地域社会形成には地域住民(市民)の自発的主体的な参加が必須であり、かつ具体的な方策も必要である。   (という意見は理解できるが、行政側が主体的に出来たのは、民主的であるためには場や施設を提供し促す・可能性を開いておくことくらいではないだろうか。これは失敗であるが、行政側にそれ程の過失があるとは思えない)
 75〜85年の間は経済開発から社会開発重視、背景には公害問題と都市部人口の増大(70%)による過疎化と貧困化が問題視され始める。 地域開発と都市コミュニティーとの構造的な問題をどう解決していくかに向かう。この字金に奥田道大は「地域共同体モデル」−「伝統的アノミーモデル」-「個我モデル」−「コミュニティーモデル」へと変化していくとうい理念型を示した。
 85〜95年は以前の外発的なものではなく、地域社会形成の主体としての住民・市民が構成要素の一つとして地域社会の内部から改革を目指す内発的な立場からの地域社会形成を目指す。しかしながら画一的な住民参加は制度上は権利が保障されるようにみえても形骸化する可能性もある。市民参加が地域住民の自発的な意思からではなく、行政の効率化という行政運営上の理由からなされている事情からすれば、今後の市民参加を市民の政治的意思を反映するような、本質的な参加スタイルに転換されていくことの提起
 ゼロ年代は、行政活動の補完的な関与という参加から行政運営への参加を前提とした住民と行政との協働の段階へと転換していく。 地方分権化への動き・第三次産業を中心としたモノの豊かさからサービスの豊かさへの転換、公共サービスの質的充実を求める市民参加の動き・高等教育の大衆化と専門家、ライフスタイルの多様化、多元的価値の出現、多元的な価値観を重視した市民専門人が市民活動へ参加するようになった。


地域社会とは何か

*1:松野P16