記号化について

やっぱり学問を志していたり、幾ばくか何となくでも知的なものを書こうと、言説を展開しようと思うならば、言葉には配慮しなければならないと思う。
 記号という言葉をよく見かけるけど、どうしてわざわざ記号化という言葉を用いるのか分からない場所で使用されているのを見かける。それで良いのだろうか
 この記号とか記号化という言葉には、それなりの背景があり積み上げられてきた知識がある。そういった言葉を使う際にはやっぱり妥当性や正当性が必要だと思う。そうでないといい加減で無責任な言説ばかりが巷に溢れてしまう。そんなのはダメだ。
 記号・記号化とはどういうものであり、どういった際にその記号化の動きが見て取れるのかを把握した上で、もしくは配慮した上で、記号・記号化という言葉を概念を用いるべきだ。
 なんとなく聞こえがいい、インテリっぽく見えるというただそれだけのために良く分かりもしない用語を振り回すのは歓迎される態度ではないだろう。