萌えとは何ぞや ツイッターしながらやろうと思った その1

さて第一回目というわけですけれども何から手を出して良いものか、私に寄せられたコメントに「萌え=愛」という発言があり、これも大変興味深くまた有意義な論題ではあると思うのですが、ここは初志貫徹
「萌えの暴力―相手の人格を無視した属性化」に対しての私の態度を表明するところから始めようと思います。

「萌えの暴力―相手の人格を無視した属性化」と漠然と言われても何のことだかよく分かりませんが、まーここで言いたいのは萌えは暴力的だということでしょう―本当にそうでしょうか
萌えの暴力とは萌えということによってもたらされる暴力なのか、それと萌えが持つ暴力性のことなのか。
拳銃はそれ自体に暴力性を宿していると考えられますが、その存在は人間存在によって与えられた在り方に過ぎないとも考えられます。が、萌えなるものは言葉であり、人間が用いる道具でありますから、人間にとっての萌えとは何であり、それに暴力はあるのか、あるとしたらそれはどのような暴力であるのか等を考えていった方が健全であるでしょう
(萌えをオタクどもを興奮させるための、金を搾取するための道具としての存在と考えてみるのも楽しそうですが、それもまたいずれ)

さて、萌えとは何でしょうか。
それは記号でしょうか、それは違うでしょう。萌えの記号化とは、萌えそれ自体の記号化ではなく具体的な何か、例えば妹だったりネコミミだったりツンデレだったりするものが記号化されたものであります。ネコミミツンデレが或る者にとっては萌えであるが故に、萌えは記号化であると言ってしまいがちでありますが、萌えそれ自体は記号ではないのです。ネコミミツンデレは萌えであり、ネコミミツンデレは記号化であるかもしれませんが、だからといって萌えが記号化であることにはなりません。記号化とはネコミミツンデレといった萌えよりも一段具体的なところにあるということを心に留めて此れからの一歩としていきましょう

それでは萌えとは何でしょうか
wikipediaの萌えに関する項目を参照するともはや私がブログなどで何事かを言う必要性が感じられないほど誠実に考察されている。
しかしココで萌えとは主にアニメやゲームなどの二次元的な或る対象に好意的な感情、または魅力を感じさせる何か
と言ってしまっても益はないし、それは私が意図しているところとは異なるので、ウィキにおけるような考察は参考にする程度に留めようと思う。


いい加減、萌えとはなんなんですか?
そんな急かさないでください、これから時間をかけて萌えにまつわるエトセトラを考えていこうと思っています。一朝一夕でわかるものでもないでしょう?
とりあえずは「萌えの暴力―相手の人格を無視した属性化」に関して考察を企ててみるとします。

ではシーユーファッキューまたいづれのちほど