萌えとは何ぞや ツイッターしながらやろうと思った その0に対するレス

ありがたくも私の駄文に対してコメントを頂いたので
これはレスをしなければ!
と思った矢先コメントに対するレスの仕方がイマイチ分からない・・長くなりそうだしぃ、面倒臭いのでここでレスをしてしまいます

私は遠藤周作氏の造語善魔について
全く解していないのですが、「萌え=愛―相手を思いやらなければ、相手の人格を無視した押し付け」つまりは暴力性を宿すというのは、早急な展開だと私は考えます。
この発言は素朴に理想的な愛の一形態を仮定したものであることは私も同意するのですが、愛それ自体には様々な形態・在り方があると思うのです。
なるほど、そうならば確かに善魔である愛もありますね。
例えば、物にたいしての愛は愛足り得ないでしょうか、車に対して素人から見れば痛過ぎる改造をしてしまうまでの愛はやはり暴力的でしょうが、しかし愛でもあると私は思います。だいぶ違うかなww
仮に「萌え≒愛」と仮定したとしても私は、善魔にならない、暴力性をほとんど宿さない愛があるのではないかと考えています。それはまた、機会を作り語ってみたいと考えています。


hachimasaさんへ
今回このブログを書こうと思った切欠が貴方のブログを読んだ事に因るので勝手ながら名前を出してしまいましたが
貴方のブログをDisった分けではないのです。
例えば「何年も前に〜」は萌えにたいしての発言ではなく、抽象化・言語化・記号化にはそもそも暴力性が宿っているのに(既にマルクスさんも言ってます)、それを態々萌えに対しても適用させ何事かを語っているかのような萌え論壇?周辺に対する私の苛つきであります。
実際私もリアルとモエは相対化、断絶があってこそ両者の健康が保てるのではないかと思っています―その均衡が保たれていないことに、現代の病理の一因があるのではないかとも
思ったりしているのです。
私の稚拙な文章のために、貴方に余計なストレスを与えてしまったことをお詫びします。